2017年1月21日土曜日

Oasis Supersonic を観て(の考察じみた独り言)

ブログは(少なくとも定期的には)書かないと数年前に決めたけど、久々色々書きたいことがあって書いてみた。

お題は映画「oasis: supersonic」。90年代を席巻したイギリスのロックバンドのドキュメンタリーだ。彼らの生い立ちから、デビューからの3年間の絶頂期をバンドの中心人物ギャラガー兄弟(兄:ノエル、ギターと曲作り担当、弟:リアム、ボーカル担当)、および関係者の「現在の」インタビュー音声を当時の映像に被せながら流す構成になっている。基本的にインタビューに答えている人の現在の映像はほとんど出てこない。(兄弟についてはゼロ)


ドキュメンタリーの主なタイムライン94年から96年はちょうど自分も広島の片田舎から東京に出てきてバンドを始めた時期。当初はガンズアンドローゼズのようなハードロックに影響されていたが(そういえば今日は再結成後の日本公演の初日!)、徐々にブリティッシュロックの洗礼を受け、オアシスは最も影響を受けたバンドだ。


僕は彼らとは国も育った環境も全然違うし、当時プロを目指していたかというと、否定もないが肯定もないような中途半端な状態だったけど、(そして今はもちろんロックスターではない)未だに自分の価値観の重要な部分を占めている存在に変わりはない。

自分の結婚式の二次会は友人とバンド演奏したし、20代の頃の怠惰で快楽主義な日常は(でも労働も頑張る部分も込めて)彼らの主張に通じるものがある。

映画でも語られているが彼らの絶頂は90年代中〜後期であり、その後は兄弟以外のオリジナルメンバーは次々と抜け、別のバンドのフロントマンで結成したドリームチームでしばらく活動を続けていたが、2009年のツアー中の大喧嘩を最後に解散してしまった。

僕自身の2000年以降の関わり方は、アルバムが出ればとりあえず買い、英字サイトで最近の動向をチェックするぐらいだった。

そうした存在のバンドのドキュメンタリー、正直表現されている内容はほとんど既知のものだったが、昔の未公開映像、音源が多数あるという制作側の思惑にまんまとのせられて、何回か迷った挙句(仕事が忙しい家庭持ちにとって一人で2時間の映画を観に行くのはちょっとした決断がいる)、観に行くことにした。


観に行った感想だが、結論としては行ってよかったし、「オアシスファンでなくとも」オススメの映画である。

内容の細かい感想などはもっと文章の上手い人のブログや映画レビューサイトにたくさんのっていると思うので、僕はなぜファン以外でもおすすめなのかと、同時にちょっともやもやしていることを考察じみて書いてみたい。

オススメの理由:
彼らのセカンドアルバム「モーニング・グローリー」 は世界中で売れ様々な賞も取り、少なくともバンドマンの間では相当有名な「洋楽バンド」なはずだが、日本の一般的な知名度でいうと、「ビートルズ」、「エアロスミス」あたりに比べると低いのかなーという印象だ。特に今の20代とかだと知らない人多数なのではと思う。
そんな彼らだが、「知らないバンドのドキュメンタリーを見て何が面白いのか」に対する答えとしては、単純に「物語として面白い」だ。
ドキュメンタリーに対して物語というのも変だが、とにかくギャラガー兄弟が濃すぎる。もうこういう濃いキャラの人たちは出てこないんだろうなーというぐらい濃く、それを取り巻くエピソードも下手なハリウッド俳優の演じる創作サクセスストーリーよりよっぽど刺激的で面白い。

 そして、本人達がコメントしているが「インターネット以前(正確には普及以前なのだが)だから起こり得たマジック」をインターネット後の目を通して見てみるのもちょっと大人な楽しみ方だ。(これは後述の考察に続く)

 「インターネット以前は1つのことに対する重みが大きかった。音楽を聴くこと。誰かと時間を共有すること。今はそれらは流れて行くものだろ?(確かこんな感じのことノエルだかが言ってた。正確ではないかも)」の言葉に象徴される通り、素質(声や見た目、作曲)と運命(家庭環境、出会い)が口コミや雑誌といった限定的なメディアによってうまく伝説化、神格化されムーブメントに繋がっていったのがこの時代(とそれ以前)の特徴かなと思う。

この映画を見るといかに彼らの活動と成功が微妙なバランスやさじ加減で成り立っていったかがよくわかる。 表面上は好き勝手やっているし、本人達もそこまで深い考えもなかっただろうが、ファンとアンチ、真面目な部分とダメな部分、クリーンな部分とダークな部分、どちらに行き過ぎても、「ただの悪い人」か「ありがちな存在」になってしまう。

彼らのドラッグとの向き合い方を見ても本当に紙一重のところでバランスを取っていたのだと思う。(摂取、メディア発言を見ても。ちなみにドラッグの使用を擁護しているわけではない。)

こういったある種のチューニングはガラス張りのネットワークで細い粒度に細分化された今のつながりの中では難しいのではと思う。

インターネット世代と呼ばれる人達が、そうでなかった時代の一番最後の方の時代、つまり大昔でもない時代のエンターテイメントの断片をどう見るのかは興味深い。

ここまで書くと感動よりも刺激や示唆に富んだ内容なのかなと思われるかもしれないが、最終的には感動的な物語に仕上がっていると思う。最後の「マスタープラン」がエンドロールで流れる時はちょっと胸熱になった。

なぜか?それは彼らの一環した「自己肯定」への強い思い、そして母親のペギーさんがいい母ちゃん過ぎること!

僕がずっと彼らのことを好きなのは、もちろん音楽や特異なキャラもだが、何と言っても過去の不幸や逆境に負けない「自己肯定」だ。

余計な同情もいらない、変な攻撃性もいらない、ただひたすら自分の正直に徹して「これでいいのだ」をつらぬく彼らの言葉には勇気付けられる。

以下の動画は最近見つけたんだけど、ノエルがすごいいいこと言っていて(そして彼は多分その自覚なくて)、映画の補強材料としてもよかった。




ペギーさんについては、苦労人で暴力夫から夜逃げして女手一つで男三人育てたのは知ってたけど、2年間も売れないバンドとしてドサ回りをしている息子から「いつかビッグになって楽させてやるよ」と電話で言われ「私が生きてるうちにやってね。お金は今必要だから」と笑って答えるその器量の大きさに感服した。

もやもや感への考察:
オススメと書いたがもやもや感もちょっとある。
映画の締めくくりで彼らの成功はあの時代限定のことで、マジックは今の時代では起き得ない、そして自分達の存在も再現不可な過去のものとして語っている点だ。

当人達的には自分達の偉業は他ではできないという意図も含んでの発言なのだろうが、あれだけ「オレ様」アティチュード全開の彼らにしては少々控えめな発言にも聞こえた。

 本当にこのインターネット時代に彼らのような存在は出ないのだろうか?

 一つだけ言えるのは、彼らのマネをしてもそれはなし得ない点だ。

時代を席巻しムーブメントを起こす人には、必ず (本人が意識してなくとも)「発明」があるのが僕の持論だ。

オアシスの発明はなんだったのだろうか?それは「アティチュード」 の発明だと思う。

綺麗で爽やかな音楽を悪態をつきながら、クリアとシャウトの中間のような歌い方と演奏で発信するという独特の立ち位置だ。

オアシスを構成する、「聴きやすい音楽」、「わかりやすいバッドボーイ」、「カジュアルだけどイケてるファッション」、「レガシーな音楽観」 などの1つ1つは特に目新しいことではなかった。ただ、それらを統合して1つの姿勢、存在にしたことが彼らの新しさだった。

かっこよく言えばロックの再定義だったのだろう。

話は全くそれるが、僕が同じく好きなPerfumeも、個々の構成要素は全く異なるが、同じようにして(オアシス規模でなくても)ムーブメントを起こしたグループの1つだと思う。

彼女達はアイドルを再定義したのだろうし、スティーブ・ジョブズは電話を再定義したのだろう。

そういった再定義によるムーブメントは、そろそろ底をつきつつある感も否めないが、それとは別の「新しい要素による革新的なムーブメント」はまだエンターテイメントに起こる可能性はあるだろうし、起こって欲しい。

なぜなら、善なるムーブメントはたくさんの人に力を与える無限の可能性を秘めているし、それがエンターテイメントの本質だと思うからだ。

最近のムーブメントは、政治やテロに関連した負の側面が注目されがちだが、みんなが楽しく熱狂できて、人生に影響を与えるようなムーブメントもまだまだあるはずだ。

最後に:
後半だいぶんエモいことを書いてしまったが、ドキュメンタリーのいいところは感動と考察が両方得られるところだと思う。
そして、音楽ドキュメンタリーはテレビより映画館で大音量で臨場感を感じながら見た方が良い。

そして・・・

角川シネマ有楽町で見たんだけど、映画館はやっぱりビールとポップコーンは外せんだろーと思った。(ポテチとコーラだとなんだかね・・)

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